以下本編です。
* * * * * * *
「お父さんって、いつも白衣ばっかり着てるわね」
涼子は唐突にそう切り出した。居間でコーヒーカップを手にしている涼は、
「私は研究者だからね」
そう言うと、熱いコーヒーをすすった。眼鏡が少し曇った。
「折角整った顔してるんだから、もっとオシャレすれば良いのに」
涼子は不満気だった。パジャマ姿でソファーに寝転がり、ごろごろしながら主張を続けている。行儀の悪い娘だった。
一方の涼も、
「でもそれは研究に必要ないからなー」
机に肘をつき、おやつのケーキをフォークでつついている。行儀の悪い父だった。
すると涼子は何を思ったのか突然立ち上がり、
「お父さんに白衣以外を着せてやる!ちょっと待ってなさい!」
一目散に何処かへ走っていった。
涼が二杯目のコーヒーを飲んでいる時だった。
「お待たせ!」
「……状況がよく分からないんだが」
涼子が竹田を連れて戻ってきた。
いつの間にか涼子はパジャマから制服のようなものに着替えていた。コスプレにしか見えないが、れっきとした涼子の私服である。
いきなり連れてこられた竹田は、涼の姿を見て苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「何度も言ってるだろ、オレはお前の家の家政夫じゃない!」
文句を言っている竹田は、モノクロ調の服で無難にまとめていた。黒いジャケットに白いシャツ。細めのネクタイがアクセントだ。ズボンに付けられたチェーンが少し不良っぽかった。
きょとんとしている涼は、
「えっと、誰だったかな?」
正直にそう尋ねた。
「竹田だよ!どんだけお前の身の回りの世話したと思ってるんだ!いい加減覚えろ!」
必死に自分をアピールする姿が、何だか哀れだった。
「あ、思い出した。いつもと違う格好してるから分からなかったよ」
竹田は頭を抱えた。もうやだ帰りたい。きっとそう思っているのだろう。
「とにかく、お父さんには今から竹田の服を着てもらうからよろしく」
「はあっ?何でオレの服貸さなきゃいけないんだよ!」
「あー、つまり白衣以外を着ろと?涼子は面白いこと考えるね」
「善は急げって言うでしょ?つべこべ言わずにさっさと着替えてきなさい!」
涼子の命令に、男二人は大人しく従うことにした。涼子がさりげなく拳を作ったのに気付いたからだ。
数分後。
「なにこれ変な感じ。竹田君、君はいつもこんなに変な服を着ているのかい?」
「変とか連呼するな!普通だ、普通!」
竹田の服を着た涼と、涼の服を着た竹田が戻ってきた。
白衣以外は着ないと言っておきながら、涼の着こなしは完璧だった。ロックバンドにいそうな感じだ。服の持ち主である竹田よりも似合っている。
その竹田はと言うと、多少知的な感じはするものの、中途半端な感じだった。理科の実験で同級生が慣れない白衣を着てからかわれる感じ、と表現すれば良いだろうか。
涼子は目の前の父の姿に、
「ほらー、やっぱり似合うじゃない。たまにはそういう格好したら?」
嬉しそうにはしゃいでいる。竹田のことなど眼中にないらしい。
「そうだ!お父さん、それでちょっと外出してきなさい!絶対女の子に声かけられるわよ」
「えー、私はインドア派だから外には出ないよ。買い物だったら通販ですれば良いし、人付き合いはネットでしているから外出する必要ないし」
「じゃあ三十分だけでいいから!あ、竹田。ブーツ借りるわね」
「おいちょっと待てよ!」
乗り気ではない涼の背を押して、涼子は居間を出た。
一人残された竹田は、
「……じゃあ、夕飯の支度でもするか」
ため息を吐いて、居間にハンガーで吊るされたエプロンを手に取った。胸の部分に、『竹田』と刺繍のあるエプロンだった。
丁度三十分後。竹田が野菜スープを火にかけながら餃子を包んでいる頃、ぐったりした涼が帰ってきた。それとは対照的に、涼子の足取りは軽い。何故か芝田も一緒だった。
ジャケットを脱ぎ捨て、ソファーに身を投げ出した涼は、
「この服重過ぎるよー」
おもむろにネクタイを緩め始めた。
「ちょっとお父さん、年頃の娘の前で着替えないでよ!ちゃんと自分の部屋行って着替えなさい!」
「えー」
出かけたときと同じように、涼は力ずくで居間を追い出された。
「おい、涼子。あいつの服、今オレが着ちゃってるんだけど」
キッチンからする声に、
「大丈夫。お父さん服のスペアだけは沢山持ってるから。同じやつばっかりだけど」
涼子は平然と答えた。
「それより聞いてよ!芝田が面白かったんだから」
「涼子、その話はしないで!恥ずかしいじゃないの!」
いつになく慌てている芝田を無視して、涼子は話し始める。
「道歩いてたらお父さん声かけられたの!しかも、その声をかけた人が芝田だったのよ!」
「だって白衣じゃなかったから……!」
「しかもしばらく気付かなくて、私に『あのお兄さん誰?紹介して!』って聞いたの。いやー、まさか知り合いにもばれないなんて」
「もう止めてよー!本当にあんたのお父さんだなんて分らなかったんだから!従兄弟か何かだと思ったのよ!」
真っ赤な顔で反論する芝田が流石に可哀相になったので、涼子はこのくらいにしておくことにした。しかし思い出し笑いは止まらないようで、声を押し殺して笑っている。
餃子を包み終え、竹田がキッチンから姿を現した。
「なあ、涼子。さっきの話を聞く限りだと――」
「何よ」
涼子と視線が合い、一瞬怯んだが、
「芝田の中では、涼イコール白衣、って認識してるんじゃないのか?」
正論を口にした。涼子は目を丸くして驚いている。
「そうよそれ!私の中では涼イコール白衣なの!」
竹田のフォローのおかげか、芝田はいつもの調子を取り戻した。通常営業である。
涼子はますます訳が分からなくなって、
「え、だってお父さんは白衣以外にも特徴あるわよ。眼鏡だし、三つ編みだし、陰険だし、生活は人並み以下だし」
褒めているのか、けなしているのか、よく分からないことを言った。
「それはお前があいつの娘だからだろ?オレ達にとっては、あいつはただの迷惑な白衣野郎だ」
「私にとっても、ただの白衣研究者よ!格好良いとか思ったことなんて、多分ないんだから!」
二対一では分が悪いので、涼子は携帯を取り出すとメールを送信した。宛先は、坂田、泉、空、桃太郎である。その文面は、『水無月涼と言えば?』という簡素なものだった。
返事はすぐに来た。坂田は、
『白衣です』
泉は、
『眼鏡と白衣じゃないのか?』
空は
『三つ編み、白衣』
桃太郎は、
『陰険。白衣。気に食わない』
これまた簡素だった。三人とも、白衣という項目が入っていた。
「やっぱりこっちの方が落ち着くなー」
いつも通りの姿で、涼が居間に戻ってきた。
「やっぱり白衣だな」
「白衣よね」
頷きあう竹田と芝田。
涼子は何かを期待して、
「ねえ、お父さん。自分の特徴って、何だと思う……?」
父にそう尋ねた。涼は間髪入れず、
「白衣!」
元気に断言した。
「……お父さんに白衣以外を着せようとしたことが、そもそも間違いだったのね」
涼子は意気消沈して、机に突っ伏した。
「私は研究者だからね。白衣は私の存在そのものだよ」
ウインクしながら、研究者は胸を張った。
(おわり)