竹田誕生日記念短編です。これは当日中に書き上がって良かった。
以下、本文。
*****
「宿題が終わらないんだけど」
「……オレに言うな」
呼び出されたのがつい五分ほど前。遅い、と文句を言われないように研究所まで走ってきた所為で、額から汗がダラダラと流れ落ちる。
今日は八月三十一日。この辺りでは、夏休み最後の日。
この辺り、と言ってもそれは都会での話だ。オレが以前通っていた学校は、それより十日は早く二学期が始まっている。
「宿題が終わらないのよ」
「分かったから二回も言うな」
研究所の玄関先で待ち受けていたのは、薄っぺらい課題帳を抱えた涼子。むすっとした表情で、状況を簡潔に伝えてきた。
曰く、夏休みの宿題が終わらないとのこと。
「――で、わざわざ俺を呼び出した理由は?」
そんなもの、聞かなくても分かっている。案の定涼子は表情をほころばせて、
「手伝いなさい!」
上から目線でそう言い放った。……やっぱり。
「……もし断ったら、どうする」
「酷いことするわよ?」
太陽より眩しい笑顔でそんな物騒なことを言うな!
頭上からは、刺すような日差し。暦の上では秋のはずなのに、太陽は相変わらず仕事熱心だ。対して目の前には、怒らせると爆弾よりも恐ろしい少女。どちらと仲良くすべきかは、十分すぎるほどに知っていた。
「手伝うけど、少しだけだからな」
今日もオレは、正しい選択をしたと信じたい。
クーラーの効いた涼しい室内。目の前には冷たい麦茶が二つ(注:オレが自分で淹れた)。そして目の前には、山積みの課題と頭を抱える生徒の姿。
「夏の風物詩だな」
「ごちゃごちゃ言ってないで手を動かしなさい!」
手伝え、と言われたのでさぞかし難しい課題が待っているのだろうと覚悟していたのだが、
「これはオレが手伝わなくても解けるんじゃないのか?」
「うるさいわね!今までロクに学校なんて通ったことがないから難しいのよ!」
こいつがオレより3つも年下だということをすっかり忘れていた。学年にして中学一年生の問題。これは流石に余裕だ。それにしても、ロクに学校に通ったことがない、とはどういう意味だろうか。
「何よ、その表情は」
「いや、病気か何かで学校休みがちだったのかな、と」
涼子はシャーペンを置き、恥ずかしそうにそっぽを向く。
「私が大人たちに教わったのは、武器の使い方と、人の殺し方だけ。読み書きも計算も、お父さんに教わるまで出来なかったのよ」
「…………ごめん」
我ながら迂闊だった。そういう世界があるということを知りながら、どこかで他人事だと思っていた。自分とは一生関わりがないことだと決めつけていた。最低だ。オレは結局、オレの常識の中でしか、物を考えられなかったのだから。
当の涼子は、まったく気にしてないかのように、再び課題帳に向き直っている。
「竹田?」
オレの視線に気づいたのか、涼子は顔を上げた。つい気まずくて、視線をそらしてしまう。馬鹿かオレは!
「えーっと……」
涼子はまだ残っていた麦茶を一気に飲み干すと、
「おかわり!」
空になったグラスを、オレに突き出した。明らかに気を遣っている。オレは本当に自分が情けなくなった。
麦茶を取りにキッチンへ行くと、
「あれ、竹田君」
コーヒーを注いでいる涼に会った。
「お前、自分でコーヒー淹れられるなら人に頼むなよ」
「失礼な。私だってコーヒーぐらい淹れられるよ。さっき作った全自動コーヒーマシンを試していたところさ」
「機械任せじゃないか」
いつものように軽口をたたいてみても、どうにも気分が重い。やはりさっき踏んだ地雷の所為か。
「竹田君、どうかした?いつもより変だよ」
「いつもより、ってなんだよ」
残念ながら、相談出来る相手は目の前のこいつだけだ。観念して、打ち明けることにした。涼子の経歴についてを。
「あー、聞いちゃったんだね」
「悪かったと思ってる」
涼から渡されたコーヒーを啜ると、口の中に苦味が広がった。砂糖もミルクも入っていない、正真正銘のブラックコーヒー。初めてだったので、思わず咳込んだ。
「竹田君もまだまだ若いなあ」
涼に笑われて、ちょっとムカついた。
「あの子がそれを打ち明けたということは、君のことを信頼している証だよ」
「そう、なのか……?」
「そうだと思うよ」
思いの外真面目に返されて、オレは困惑した。
「ほら、早く行かないと涼子に怒られるよー」
涼子に怒られる。その言葉を聞いたオレは、反射的に冷蔵庫から麦茶を出し、涼子のグラスに注いだ。
「あ。ついでに良いことを教えてあげよう」
キッチンから出ていこうとするオレに向かって、涼が信じられない言葉を投げかけた。
「あ、竹田、おそーい!」
文句を言う涼子の前に麦茶を置き、乱暴に椅子に腰かける。
「涼から聞いた。――お前、そんなに成績悪くないって話じゃないか!オレが麦茶取りに行ってる間に課題帳一冊終わってるし!」
「当たり前じゃない、楽勝よ」
「さっきまで難しいとか言ってただろ!」
「あれは懸賞のパズルの問題」
「なっ……」
「懸賞の締切今日までなのよ」
「じゃあ、オレが手伝う課題っていうのは……」
「私はパズル解くのに忙しいから、代わりに課題帳やっといて」
「そんなの認められるか!」
「酷い!さっきこと何も反省してないの?」
「それとこれとは話が別だ!」
きっと全部、涼子の策略だ。オレを大人しく従わせるための。
それでも、知られたくない過去を話してくれた部分だけは素直に受け取って良いのだろうか。
こんなオレのことでも、信頼してくれているのだと。