しばらく更新していなくてすみません……。
もう1ヶ月以上過ぎてしまいましたが、泉の誕生日(7/21)記念短編です。
坂田の誕生日記念短編(2012/5/6投稿「思い出の在る処」)を事前に読んでおくとより楽しめると思います。
以下、本文。
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海水浴に行こう、と、突然涼子が言い出した。涼子の提案はいつだって突然だ。脈絡がまるでない。それでいて、こちらの痛い所を的確に突いてくる。全くもってタチが悪い。
夏の日の昼下がり。いつの間にか溜まり場と化した涼子の家――あの研究所の一室でお茶を楽しんでいた時だった。アイスティーの中の氷が、カラン、と音を立てた。
「やっぱり夏と言ったら海よね!ほら、お父さんもたまには日差しを浴びないと健康に悪いわよ?」
「私は暑いのは嫌いだよ……。あと日焼けも嫌い」
「まあ、涼子にしては気の利いた提案じゃない。私もこの前新しい水着買ったし、一緒に行ってあげる」
「有難う芝田!と、いうことで、アンタももちろん来るわよね、竹田?」
「……どうせ断ったところで無駄なんだろ。行くよ」
「竹田君一人だと不安なので、僕もついて行ってあげましょう」
「どういう意味だよ坂田」
こちらの事情もお構いなしに、話はどんどん進んでいく。私が口をはさむ余地はないらしい。
「……大丈夫か、姉者」
そっと耳打ちしてきたのは空だった。この弟分は、私の心境を感じ取ったらしい。表情には出さないようにしていたのだが、やはりばれてしまったか、と、内心ため息を吐く。
「私のことなら気にするな。多分、大丈夫だ」
「…………。あまり無理はするなよ」
それだけ言い残して、空は涼子たちとの会話に戻った。あいつだって辛いはずなのに、気を遣われてしまった。
本当に、いつの間に大きくなったんだろうな……。
その言葉を、氷の溶けかけたアイスティーと共に、喉の奥へと流し込んだ。
「やってきました、海ー!」
無邪気に砂浜を走り回っているのは涼子。スクール水着の胸の辺りには、『水無月』と書かれた名札が縫い付けられている。こうしていると年相応の少女で、まだ可愛げがあるものを。つい卑屈に考えてしまい、私は内心、自分を嘲笑った。
「見て見てー!似合う?」
上に羽織っていたパーカーを脱ぎ、水着を披露しているのは芝田。淡いピンクを基調としたビキニタイプの水着だ。胸元には大きめのリボン。さり気なくあしらわれたフリルが可愛らしい。何というか、その、似合っているだけに、目のやり場に困る。……胸の辺りとか。
「……似合う、と思う」
緑色の迷彩柄の海パンをはいた空は冷静にそう返す。しかし表情をよく見ると、やや困惑した様子がうかがえる。そういえばこいつ、私以外の女子の水着(スクール水着以外)を見るのはこれが初めてだった気がする。
「で、オレはやっぱりこういう役割なんだな」
大きなクーラーボックスから食材を出しているのは竹田。無難な紺色の海パン姿。シルバーチェーンのペンダントが、動くたびに微かに音を立てている。こういうところが意外とお洒落だ。
「働かざる者食うべからず、ですよ。竹田君」
「お前が言うな。何か前にも同じようなことが……デジャヴか……?」
明るめ目の黄緑色の海パンの上に灰色がかったパーカーを着た坂田は、相変わらず竹田をからかっている。何だかイキイキとしているのは気のせいだろうか。
「おい涼、オレも外に出たいんだが」
「無理無理。そんなことより、私は早くかえって研究の続きを……。良いアイデアが思いついたんだよ」
パラソルの日かげの中で寝そべっているのは涼。何故か白衣姿。その隣では小型モニターの中の師匠――桃太郎が文句を言っている。何故か水着。紫色の海パンをはいて胡坐をかいている。そんなに海水浴がしたかったのか、師匠。
「泉ー!どっちが遠くまで泳げるか、勝負しましょう!」
涼子に宣戦布告され、私は上着を脱ぎ捨てる。あまり描写したくはないが不公平になるので説明すると、私の水着は赤いビキニタイプだ。芝田のように装飾があるわけではないシンプルなものだが、おかげで動きやすい。
「それは良いが、まずは準備運動からだ」
そして私は、水泳のインストラクターのように準備運動の指揮を執った。涼にも強制的にやらせた。
きらきらと輝く海面。エメラルドブルーと、忘れたくない思い出の数々に囲まれて。私の胸が、少しだけ高鳴った。
結果を言うと、私と涼子の遠泳対決は引き分けに終わった。200メートルほど先にある海水浴が許可されている地点まで、二人とも軽々と泳ぎ切ったためである。涼子はその先まで泳ごうとしたが、私が止めた。長年海の家で生活した者として、それは許可できない。父が生きていたら、きっと殴られる。
「生きていたら、か……」
「どうしたの、泉?」
「何でもない。それより戻ろう、涼子。そろそろ昼食の時間だ」
砂浜までの200メートルをゆっくりと泳ぐ。意識せずとも、腕が勝手に水をかく。脚が水をたたく。息継ぎの拍子に口に入ったしょっぱい水滴。ここには馴染みがありすぎる。
「お疲れ様です、泉さん」
いつの間に岸に着いたのだろう。顔を上げると、タオルを私に差し出す坂田がいた。リアルな魚の刺繍がされたそれは、
「空から借りたのか、これ」
「その通りです。皆さんの分も持ってきたみたいですよ」
呆れると同時に、ぐう、と腹が音をあげた。
バーベキューをたらふく食べた後は、
「ちょっと涼子!本気出さないでよ!痛いじゃない!」
「えー、手加減してるわよー」
プロ顔負けのビーチボールの試合を繰り広げたり、
「坂田、もっと右だ」
「こっちですかー?」
「もっとだ」
「おい空、意図的にオレの方に誘導してるだろ。スイカはもっと左だ」
危うく竹田が被害を受けるところだったスイカ割りをしたり、
「……あんまり意味ないと思うんだが」
「大丈夫。さっきソーラー発電機能付けといたよ」
「マジかよ」
小型モニターと一緒に日光浴をしたりと、まあ、一言でいえば海を満喫した。
一つ一つが楽しくて、懐かしかった。
水平線の彼方に沈む夕日を見送り、濃紺の空に星が瞬きだす頃。
「こら涼子、振り回すな!危ない!」
「え、花火って普通振り回すでしょ?」
「何それ楽しそうだね。私もやってみよう」
「涼、お前はやらない方がいい」
「空の言う通りよ。どうせ火傷して終わりでしょー?」
「君達は冷たいね。そう思わないかい、桃太郎」
「空も芝田も、お前のことが心配なんだよ」
星よりも眩しい火花が、地上では散っている。手持ち花火にはしゃぐ面々をよそに、私は浅瀬で線香花火に火を灯す。
「ご一緒しても良いですか?」
水面に映る火が、一つ増えた。
「坂田は向こうにいなくて良いのか?」
「僕も線香花火派なんです」
先端がくるくると丸まって、今にでも落ちてしまいそうな炎の雫が生まれる。
「それに僕、花火はあまり好きではないんです」
「そうなのか」
「色々思い出してしまうんです。良いことも、嫌なことも」
ぱち、ぱち、と小さな火花がはぜる。
「泉さんも、同じでしょう?」
火は徐々に激しくなり、一気に花を咲かせる。
「ずるいですよ、一人だけ強がって」
「なっ」
動揺した勢いで、私の花火だけが着水した。坂田の花火は、まだ火の玉を残している。
「今日、ずっと浮かない表情をしていましたよね」
「……ばれないようにしていたつもりなんだが」
「これでおあいこですね」
そう言って坂田は、パーカーのポケットから線香花火を一本取り出した。
「いつだったか、僕を迎えに来て下さった時のお返しです」
「涼がでっち上げた失踪事件のか?」
「そうです」
坂田が差し出した花火を受け取った私は、
「……ここには、父さんとの思い出が多すぎる」
何とかそれだけ言った。恐らく、とても情けない表情をしていたことだろう。
「無理に言わなくても良いですよ。誰にでも、隠したいことはありますから」
「どこかで聞いたような台詞だな」
「あなたの受け売りです」
ふっと辺りが暗くなる。坂田の線香花火は綺麗に燃え尽きたようだ。
先程と同じポケットからもう一本線香花火を取り出すと、
「もう少しご一緒しても良いですか?」
いたずらっぽくそんなことを言う。
「ああ。……有難う」
同時に火を点けた二本の花火は、今度は落ちることなく、水面に大きな花を咲かせた。
(おわり)