「Ryo~call you, again~」完結記念短編。
スピンオフでは少し出番の少なめだった流に焦点を当ててみました。お楽しみいただけると幸いです。
以下本文。
「あれ、流。どうしたの、その髪」
「うっせーなー。どうしたって俺の自由だろ。兄貴には関係ない」
珍しく兄貴が家に帰ってきた、中三の秋。道沿いのイチョウと同じように、俺の髪は金色に輝いていた。
「確かに。私がとやかく言える資格はない」
そんな風に受け入れられてしまったら、これ以上反抗する気にならないじゃないか。発散し損ねたエネルギーは、大きなため息に変わった。
執着がないのか、無関心なのか。兄貴はいつもそうだ。俺がどんなに奇抜なことをしても、咎めたことがない。悪いこと(といっても、法を犯したことはない)をする度に父や母に怒られるが、兄貴に怒られたことや、心配されたことは一度もない。本当にこんなやつが家族なのかよ、と疑念を抱いた回数は数知れない。
「そういえば、研究の方は良いのか?いきなり帰ってきたから、何事かと思ったぞ」
両親が旅行に行った日を見計らったかのように兄貴が帰ってきたのは、恐らく今朝。俺が朝食を作ろうとリビングに向かうと、ソファーで熟睡している兄貴がいた。それから間もなくして目を覚ました兄貴は、俺の顔を見るなり、先程のように問うた。そして今に至る。
「どうせあの人――所長がいないから、研究は進まないよ。他の研究員に頼んで、ここまで送ってもらった」
「新人研究員に甘いな、あそこの人たちは」
「私が所長の子供だから、だろうけどね」
そう自嘲する兄貴は、今年の春から国立情報研究所というところで働いている。
――年齢は、俺と一つしか変わらない。
「……兄貴には敵わねぇな」
「何か言ったかい?」
「いや、別に」
手際良く二人分の朝食を用意して、食卓に座る。兄貴はどうせ食べないだろうと思っていたが、のそのそと向かい側の席に腰かけ、もそもそとサラダを食べ始める。
「朝は食べないかと思った」
「食欲がないときはいつも食べない」
「珍しいこともあるもんだな」
「あと、君のご飯美味しいから」
意外な言葉に驚いて、俺は咳込んだ。スープをこぼさないように必死に耐えた。
一体何なんだ今日は。
「昼食は冷蔵庫の中のシチューでも食っとけ。残り物だけどな。あと、掃除とか洗濯とかは帰ってきたら俺がやるから、兄貴は何もするな。分かったな?」
「私が家事をするわけないだろう」
そんなことで威張られても困る。しかしまあ、兄貴はこういう人だよな。昔から。
「全く……。おかげで身の回りのことは自分で出来るようになりましたよ有難う」
「どういたしまして」
皮肉を言ったつもりだったのだが、どうやら気付いていないようだ。
「じゃあ、学校行ってくるから」
「うん。いってらっしゃい」
久しぶりの見送りを背に、通い慣れた道を駆ける。兄貴に時間をとられて、遅刻しそうだった。
――我ながら空回っている。
中学時代最後の文化祭。それを二日後に控えたとはいえ、金髪にしたのは流石にやりすぎた。登校すると予想通り担任に呼び出しをくらった。髪の色を戻さないと、文化祭のステージに立つことは許可出来ないのだそうだ。
「君の髪は忙しいね。それとも、私が今朝見間違えたのかい?」
「……そういうことにしといてくれ」
自宅で髪の色を戻す作業を進める俺を、兄貴は興味深そうに眺めている。
「前から思ってたんだけど、君は結構器用だね」
「そうか?」
兄貴が不器用なんだよ、とは言わないでおいた。
「そういえば、兄貴はいつまでこっちにいるんだ?母さんたちなら、帰ってくるのは三日後だ」
「じゃあ、それまでいるよ」
「文化祭、見に来るか?」
「外出するの面倒」
「そういうと思ったよ……」
「流が何かやるなら見に行っても良いよ」
「――!」
正直、意外な反応だった。研究以外のことに関してはまるで人並以下のこの人物が、まだ残暑の残る時期に人ごみの中に外出する気になるとは。
「俺が、バンドで発表するんだ。だから、観に来いよ」
「良いよ」
「……兄貴、どっかで頭でも打ったか?」
「記憶にない」
文化祭当日。両親はまだ、旅行から帰ってこない。実の息子の中学最後の文化祭にも来ないとは、一体どんな神経をしてるんだ。そう、愚痴を言うことになると思っていた。しかし、
「その機材どうした」
「研究所の人に運ばせた」
今日は兄貴がいる。例えその人物が、プロ並みの音響機材と録音機材をそろえて体育館の簡易客席に待機し、学生や来校者から奇異の眼差しを向けられていたとしても、嬉しいことに変わりはなかった。
家族が学校行事に参加してくれたのは、俺の記憶にある中では今回が初めてかもしれない。小学校の卒業式も、音楽会も、運動会も、中学校の入学式も、過去二回の文化祭も。ありとあらゆる行事で、いつも俺は一人だった。理由は簡単。それがことごとく、兄貴の学校行事や研究発表、表彰式等と被ったからだ。当の本人は、いつも親が見に来ることをうっとうしいと言っていたが、俺からしてみたら、それは贅沢な悩みでしかなかった。
「音響と録音は任せて」
「兄貴にそんな特技があるとは思わなかったよ」
「音も分析していけば、最終的には情報解析みたいなものだから。こういうのは得意なんだ」
「ああ、納得」
その後兄貴は音声学や音響論がどうの、本当は言語学の分野だけど結構数学的だとかフォルマントがどうのこうの熱弁していたが、俺にはさっぱり理解できなかった。しかし、音楽とあまり関係ないことだけは確かなようだった。
文化祭のプログラムは順調に進む。髪色を戻したのでステージに立つことを許可された俺は、バンドのメンバーと舞台袖に待機する。 ドラムとベースとギターとキーボードという、いたって普通の編成。俺が担当するのは、ギターとボーカルだ。小さな音で、念入りにチューニングをする。いつになく真剣な俺に、ベース担当のメンバーが声をかける。楽しくやろうぜ、と。
「もちろんだ。でも、楽しいだけじゃつまらないだろ」
前のグループの発表が終わる。義務のように発せられる拍手。
――違う。俺が欲しいのは、そんなものじゃない。
「よし、行くぞ!」
俺が欲しいのは、たった一人の。心からの拍手だけだ。
眩しいライト。照らされたその真ん中へ。ギターのアンプをつなぎ、音量を確認。マイクテストも兼ねて、曲名を紹介する。
「では、聴いて下さい。曲は、『Reflection』」
タイトルに聞き覚えのあるやつはいない。当然だ。俺が作ったんだから。
何度も練習した言葉と旋律を、頭の中で思い返す。
息を吸い、声にする。声に音階を乗せて。曲頭の、アカペラ部分を歌い上げる。
♪
ひとりでにうまれた二つの心
互いを知らぬまま 生まれを知らぬまま
♪
徐々に重なる楽器の音。そして俺は、ギターを鳴らす。歌声と共に。大切な家族に向けて。
♪
今はただ、現実{イマ}を生きることを考えて
手探りでも見い、生きてこう
生きている限り、幸せを求められるのだから
♪
最後の一音が消える。一瞬の静寂。誰かの拍手が、一、二、三回。そして包まれる。割れんばかりの拍手に。
お世辞ではないそれが、人並みな感想だが、とても嬉しかった。でも、何よりも嬉しかったのは。
最初の拍手の主が、兄貴だったことだ。
それから数日後。俺宛に一枚のディスクが届いた。差出人は兄貴。何かと思って自室でディスクを再生すると、
「……恥ずかしい」
流れてきたのは文化祭で発表したあの曲。音質は申し分ない。まあ、あれだけの機材があれば当然というべきか。
そしてもう一つ。入っていたのは一枚のルーズリーフ。研究所の備品だろう。そこにあるのは、細いペンで走り書きされた文字。
「珍しくアナログじゃないか」
あまり長くはないその文章に、俺は目を通す。
『流へ
この前は有難う。
私は飛び級してばかりで一つの学校に長くいたことがなかったから、文化祭というものに行くのも、実は初めてだった。なかなか楽しかったよ。それに、私には無いものを、流はたくさん持っている。少しだけ、羨ましかったよ。
追伸:流の歌、解析してみたら面白かった。今度データ送るね
涼』
「解析すんなよ……」
天才故か、やはりどこかズレている気がする。
「でも、まあ、有難くもらっておくか」
ディスクと手紙を引き出しに仕舞い、机に積み上げられた参考書に手を伸ばす。表紙には、高校受験対策の文字。
兄貴に追いつけるとは思っていないけど。やれるだけのことは、やってみても良いかもしれない。
* * * * *
「おまえ、よくきいてるよな、この曲」
「そうかな?」
「ゆうめいな曲なのか?」
「そうだね。……私の中では」
ディスクを取り出し、丁寧にケースにしまう。そんな研究者に、モニターの中から声がかかる。
「おい、涼。それ、もっときかせてくれ。なんか、なつかしい感じがする」
「……分かった。今度そっちにもデータを移しておこう」
涼と呼ばれた研究者は、モニターの電源を落とし、部屋を後にする。何度も聞いた旋律を、口ずさみながら。
以下本文。
******
5月5日。気まぐれで研究所を訪れた坂田。廊下を歩いていると涼子と遭遇。
涼子「坂田―、誕生日おめでとう!」
坂田「なんですか、藪から棒に」
涼子「ちょっと祝ってやれってさっき作者に言われたから」
坂田「そうでしたか……」
涼子「ちゃんとプレゼント用意してきたから良いじゃない!ほら!」
坂田「あ、ありがとうございます。……って、なんですかこれ」
涼子「おもり付リストバンド。ちなみに5キロね。私がよく使ってるやつと同じタイプ」
坂田「これをどうしろと?」
涼子「腕に巻くに決まってるじゃない。ダンベルより手軽で良いわよ」
坂田「いえ、ですから何故これを僕に?」
涼子「何か力弱そうだから筋トレにどうかと思って」
坂田「涼子さん、たまにさらっと失礼なこと言いますよね」
涼子「?普通もらったら嬉しいでしょ、プレゼント」
坂田「モノによります。あと、これもらって嬉しいのは、多分涼子さんだけだと思いますよ」
涼子「え、そうなの!?」
坂田「まあ、でも有難うございます。一応、もらっておきますね」
涼子「ちゃんと使ってねー」
坂田「あ、はい……」
涼子から逃げるように研究所のロビーへ。そこには読書をしている竹田の姿が。
坂田「竹田君」
竹田「どうした、坂田」
坂田「あの、これさっき涼子さんに頂いたんですけど、使いませんか?僕には少しキツいです」
竹田「あー……お前ももらったのか」
坂田「と、言うと?」
竹田「去年の誕生日に、オレももらった」
坂田「涼子さん、全員の誕生日にこれ送ってるんですか……」
竹田「通販で買ったらおまけに2個ついてきたらしい」
坂田「おまけに2個……ということは一つは涼子さん、一つは竹田君、もう一つが」
竹田「お前だな」
坂田「……空さんにはあげなかったんですね」
竹田「あいつには必要ないだろうな」
坂田「その理屈で行くと、僕たちにはこのリストバンドが必要だと思われている、ってことになりませんか?」
竹田「…………」
坂田「竹田君はヘタレなので納得がいきますが、僕までそう思われていたとは……」
竹田「ちょっと待て!勝手に人のことヘタレとか言うな!!」
坂田「え、違うんですか?」
竹田「少なくともお前よりは」
坂田「大人げないですね」
竹田「なっ……」
坂田「事実です」
芝田「どうしたの二人ともー。って、何か竹田落ち込んでない?」
坂田「気にしないでください。現実を直視できないだけですから」
芝田「?」
坂田「それで、芝田さんはどうしたんですか?何か僕たちに用事でも?」
芝田「あーそうだった!坂田に用事があったのよ!」
坂田「何ですか?」
芝田「あんた今日誕生日なのよね?おめでとう!」
坂田「あ、ありがとうございます」
芝田「良いわよねー誕生日。私なんか4年に一度しか来ないから今年も作者に忘れられてたけど……」
坂田(まさかこれは、愚痴を言いに来ただけでは……?)
芝田「せめて前日か翌日には祝ってほしいわよ!2月29日生まれだって年取るんだから!4年に1歳しか年取らないわけじゃないのよ!」
坂田(やっぱり愚痴ですか)
芝田「全く大体誰ようるう年なんて考えたのは!訴えてやる!」
坂田「あの、芝田さん。僕は用事を思い出したのでこれで失礼します。続きは竹田君にどうぞ」
竹田「って、オレかよ!」
疲れた様子の坂田。今日はもう帰ろうと、外に向かう。
坂田「まったく、そろいもそろって何なんですか。でもまあ、素直に人の誕生日を祝ってもらえるなんて期待したぼくが馬鹿でしたよ」
桃太郎「おい坂田」
坂田「何ですか?人の携帯端末に勝手に出てこないでください。本当にあなたは神出鬼没ですね」
桃太郎「涼子たちが呼んでたぞ。今すぐリビングに来いってさ」
坂田「どうせまた変な筋トレ道具でも用意してるんですよ……」
桃太郎「ちげーよ。詳しいことは知らんが、自分で確かめろ」
研究所内居住スペース。リビングとして使われている部屋に足を踏み入れる坂田。
坂田「人をからかうのもいい加減にしてください!」
涼子「坂田、誕生日おめでとう!!」
盛大にならされるクラッカー。部屋の中には、竹田、芝田、涼、泉、空、そして小型ディスプレイには桃太郎がいる。
机の上には大きな誕生日ケーキ(注:竹田の手作り)がある。
坂田「あの、何なんですかこれは」
泉「お前の誕生日会だ」
坂田「え、さっきまで散々な扱いだったんですが……」
空「ここで準備をしていたらお前が入ってきそうだったから。時間を稼がせてもらった」
涼「私は反対したんだよ。君が怒ると思ったから」
涼子「お父さん、嘘つかない!一番面白がってたじゃない!」
坂田「…………ですよ」
涼子「え?」
坂田「分かりにくいですよ!もっと素直になったらどうですか!」
桃太郎「じゃあ、まずはお前が素直になれよ」
坂田「…………」
桃太郎「嬉しいんだろ?みんなに誕生日を祝ってもらえて。素直に喜んでいいんだぞ」
涼「そうだよ。気を遣ったり、我慢したり、そんなことばかり覚えなくて良いんだよ。君は――君たちはまだ、子どもなんだから」
坂田「それ、馬鹿にしていませんか?」
涼「違うよ。もっと大人を頼れってこと」
坂田「……やっぱり分かりにくいですよ」
泉「ほら、早くケーキ食べるぞ」
空「姉者、少しは我慢ってものを……」
泉「我慢するなって、そこの眼鏡が言ってたぞ」
坂田「そうですね。今日は我慢しないことにします。……涼子さんの歌、聴かせて下さい」
涼子「良いわよ」
竹田が電気を消し、ろうそくに火を点ける。涼子、誕生日を祝う歌を歌う。
ろうそくを吹き消す坂田。
坂田以外「誕生日、おめでとう!」
坂田(笑顔で)「ありがとうございます。すごく、嬉しいです」
涼「うん、やっぱり素直な方が良いね」
坂田「では、素直に言わせてもらいますね」
その後坂田による毒舌トークが2時間ほど続いたという。
涼子「ああもう!お父さんが余計なこと言うから!」
涼「そういう意味で言ったんじゃなかったんだけど……」
(おわり)
竹田誕生日記念短編です。これは当日中に書き上がって良かった。
以下、本文。
*****
「宿題が終わらないんだけど」
「……オレに言うな」
呼び出されたのがつい五分ほど前。遅い、と文句を言われないように研究所まで走ってきた所為で、額から汗がダラダラと流れ落ちる。
今日は八月三十一日。この辺りでは、夏休み最後の日。
この辺り、と言ってもそれは都会での話だ。オレが以前通っていた学校は、それより十日は早く二学期が始まっている。
「宿題が終わらないのよ」
「分かったから二回も言うな」
研究所の玄関先で待ち受けていたのは、薄っぺらい課題帳を抱えた涼子。むすっとした表情で、状況を簡潔に伝えてきた。
曰く、夏休みの宿題が終わらないとのこと。
「――で、わざわざ俺を呼び出した理由は?」
そんなもの、聞かなくても分かっている。案の定涼子は表情をほころばせて、
「手伝いなさい!」
上から目線でそう言い放った。……やっぱり。
「……もし断ったら、どうする」
「酷いことするわよ?」
太陽より眩しい笑顔でそんな物騒なことを言うな!
頭上からは、刺すような日差し。暦の上では秋のはずなのに、太陽は相変わらず仕事熱心だ。対して目の前には、怒らせると爆弾よりも恐ろしい少女。どちらと仲良くすべきかは、十分すぎるほどに知っていた。
「手伝うけど、少しだけだからな」
今日もオレは、正しい選択をしたと信じたい。
クーラーの効いた涼しい室内。目の前には冷たい麦茶が二つ(注:オレが自分で淹れた)。そして目の前には、山積みの課題と頭を抱える生徒の姿。
「夏の風物詩だな」
「ごちゃごちゃ言ってないで手を動かしなさい!」
手伝え、と言われたのでさぞかし難しい課題が待っているのだろうと覚悟していたのだが、
「これはオレが手伝わなくても解けるんじゃないのか?」
「うるさいわね!今までロクに学校なんて通ったことがないから難しいのよ!」
こいつがオレより3つも年下だということをすっかり忘れていた。学年にして中学一年生の問題。これは流石に余裕だ。それにしても、ロクに学校に通ったことがない、とはどういう意味だろうか。
「何よ、その表情は」
「いや、病気か何かで学校休みがちだったのかな、と」
涼子はシャーペンを置き、恥ずかしそうにそっぽを向く。
「私が大人たちに教わったのは、武器の使い方と、人の殺し方だけ。読み書きも計算も、お父さんに教わるまで出来なかったのよ」
「…………ごめん」
我ながら迂闊だった。そういう世界があるということを知りながら、どこかで他人事だと思っていた。自分とは一生関わりがないことだと決めつけていた。最低だ。オレは結局、オレの常識の中でしか、物を考えられなかったのだから。
当の涼子は、まったく気にしてないかのように、再び課題帳に向き直っている。
「竹田?」
オレの視線に気づいたのか、涼子は顔を上げた。つい気まずくて、視線をそらしてしまう。馬鹿かオレは!
「えーっと……」
涼子はまだ残っていた麦茶を一気に飲み干すと、
「おかわり!」
空になったグラスを、オレに突き出した。明らかに気を遣っている。オレは本当に自分が情けなくなった。
麦茶を取りにキッチンへ行くと、
「あれ、竹田君」
コーヒーを注いでいる涼に会った。
「お前、自分でコーヒー淹れられるなら人に頼むなよ」
「失礼な。私だってコーヒーぐらい淹れられるよ。さっき作った全自動コーヒーマシンを試していたところさ」
「機械任せじゃないか」
いつものように軽口をたたいてみても、どうにも気分が重い。やはりさっき踏んだ地雷の所為か。
「竹田君、どうかした?いつもより変だよ」
「いつもより、ってなんだよ」
残念ながら、相談出来る相手は目の前のこいつだけだ。観念して、打ち明けることにした。涼子の経歴についてを。
「あー、聞いちゃったんだね」
「悪かったと思ってる」
涼から渡されたコーヒーを啜ると、口の中に苦味が広がった。砂糖もミルクも入っていない、正真正銘のブラックコーヒー。初めてだったので、思わず咳込んだ。
「竹田君もまだまだ若いなあ」
涼に笑われて、ちょっとムカついた。
「あの子がそれを打ち明けたということは、君のことを信頼している証だよ」
「そう、なのか……?」
「そうだと思うよ」
思いの外真面目に返されて、オレは困惑した。
「ほら、早く行かないと涼子に怒られるよー」
涼子に怒られる。その言葉を聞いたオレは、反射的に冷蔵庫から麦茶を出し、涼子のグラスに注いだ。
「あ。ついでに良いことを教えてあげよう」
キッチンから出ていこうとするオレに向かって、涼が信じられない言葉を投げかけた。
「あ、竹田、おそーい!」
文句を言う涼子の前に麦茶を置き、乱暴に椅子に腰かける。
「涼から聞いた。――お前、そんなに成績悪くないって話じゃないか!オレが麦茶取りに行ってる間に課題帳一冊終わってるし!」
「当たり前じゃない、楽勝よ」
「さっきまで難しいとか言ってただろ!」
「あれは懸賞のパズルの問題」
「なっ……」
「懸賞の締切今日までなのよ」
「じゃあ、オレが手伝う課題っていうのは……」
「私はパズル解くのに忙しいから、代わりに課題帳やっといて」
「そんなの認められるか!」
「酷い!さっきこと何も反省してないの?」
「それとこれとは話が別だ!」
きっと全部、涼子の策略だ。オレを大人しく従わせるための。
それでも、知られたくない過去を話してくれた部分だけは素直に受け取って良いのだろうか。
こんなオレのことでも、信頼してくれているのだと。
しばらく更新していなくてすみません……。
もう1ヶ月以上過ぎてしまいましたが、泉の誕生日(7/21)記念短編です。
坂田の誕生日記念短編(2012/5/6投稿「思い出の在る処」)を事前に読んでおくとより楽しめると思います。
以下、本文。
*****
海水浴に行こう、と、突然涼子が言い出した。涼子の提案はいつだって突然だ。脈絡がまるでない。それでいて、こちらの痛い所を的確に突いてくる。全くもってタチが悪い。
夏の日の昼下がり。いつの間にか溜まり場と化した涼子の家――あの研究所の一室でお茶を楽しんでいた時だった。アイスティーの中の氷が、カラン、と音を立てた。
「やっぱり夏と言ったら海よね!ほら、お父さんもたまには日差しを浴びないと健康に悪いわよ?」
「私は暑いのは嫌いだよ……。あと日焼けも嫌い」
「まあ、涼子にしては気の利いた提案じゃない。私もこの前新しい水着買ったし、一緒に行ってあげる」
「有難う芝田!と、いうことで、アンタももちろん来るわよね、竹田?」
「……どうせ断ったところで無駄なんだろ。行くよ」
「竹田君一人だと不安なので、僕もついて行ってあげましょう」
「どういう意味だよ坂田」
こちらの事情もお構いなしに、話はどんどん進んでいく。私が口をはさむ余地はないらしい。
「……大丈夫か、姉者」
そっと耳打ちしてきたのは空だった。この弟分は、私の心境を感じ取ったらしい。表情には出さないようにしていたのだが、やはりばれてしまったか、と、内心ため息を吐く。
「私のことなら気にするな。多分、大丈夫だ」
「…………。あまり無理はするなよ」
それだけ言い残して、空は涼子たちとの会話に戻った。あいつだって辛いはずなのに、気を遣われてしまった。
本当に、いつの間に大きくなったんだろうな……。
その言葉を、氷の溶けかけたアイスティーと共に、喉の奥へと流し込んだ。
「やってきました、海ー!」
無邪気に砂浜を走り回っているのは涼子。スクール水着の胸の辺りには、『水無月』と書かれた名札が縫い付けられている。こうしていると年相応の少女で、まだ可愛げがあるものを。つい卑屈に考えてしまい、私は内心、自分を嘲笑った。
「見て見てー!似合う?」
上に羽織っていたパーカーを脱ぎ、水着を披露しているのは芝田。淡いピンクを基調としたビキニタイプの水着だ。胸元には大きめのリボン。さり気なくあしらわれたフリルが可愛らしい。何というか、その、似合っているだけに、目のやり場に困る。……胸の辺りとか。
「……似合う、と思う」
緑色の迷彩柄の海パンをはいた空は冷静にそう返す。しかし表情をよく見ると、やや困惑した様子がうかがえる。そういえばこいつ、私以外の女子の水着(スクール水着以外)を見るのはこれが初めてだった気がする。
「で、オレはやっぱりこういう役割なんだな」
大きなクーラーボックスから食材を出しているのは竹田。無難な紺色の海パン姿。シルバーチェーンのペンダントが、動くたびに微かに音を立てている。こういうところが意外とお洒落だ。
「働かざる者食うべからず、ですよ。竹田君」
「お前が言うな。何か前にも同じようなことが……デジャヴか……?」
明るめ目の黄緑色の海パンの上に灰色がかったパーカーを着た坂田は、相変わらず竹田をからかっている。何だかイキイキとしているのは気のせいだろうか。
「おい涼、オレも外に出たいんだが」
「無理無理。そんなことより、私は早くかえって研究の続きを……。良いアイデアが思いついたんだよ」
パラソルの日かげの中で寝そべっているのは涼。何故か白衣姿。その隣では小型モニターの中の師匠――桃太郎が文句を言っている。何故か水着。紫色の海パンをはいて胡坐をかいている。そんなに海水浴がしたかったのか、師匠。
「泉ー!どっちが遠くまで泳げるか、勝負しましょう!」
涼子に宣戦布告され、私は上着を脱ぎ捨てる。あまり描写したくはないが不公平になるので説明すると、私の水着は赤いビキニタイプだ。芝田のように装飾があるわけではないシンプルなものだが、おかげで動きやすい。
「それは良いが、まずは準備運動からだ」
そして私は、水泳のインストラクターのように準備運動の指揮を執った。涼にも強制的にやらせた。
きらきらと輝く海面。エメラルドブルーと、忘れたくない思い出の数々に囲まれて。私の胸が、少しだけ高鳴った。
結果を言うと、私と涼子の遠泳対決は引き分けに終わった。200メートルほど先にある海水浴が許可されている地点まで、二人とも軽々と泳ぎ切ったためである。涼子はその先まで泳ごうとしたが、私が止めた。長年海の家で生活した者として、それは許可できない。父が生きていたら、きっと殴られる。
「生きていたら、か……」
「どうしたの、泉?」
「何でもない。それより戻ろう、涼子。そろそろ昼食の時間だ」
砂浜までの200メートルをゆっくりと泳ぐ。意識せずとも、腕が勝手に水をかく。脚が水をたたく。息継ぎの拍子に口に入ったしょっぱい水滴。ここには馴染みがありすぎる。
「お疲れ様です、泉さん」
いつの間に岸に着いたのだろう。顔を上げると、タオルを私に差し出す坂田がいた。リアルな魚の刺繍がされたそれは、
「空から借りたのか、これ」
「その通りです。皆さんの分も持ってきたみたいですよ」
呆れると同時に、ぐう、と腹が音をあげた。
バーベキューをたらふく食べた後は、
「ちょっと涼子!本気出さないでよ!痛いじゃない!」
「えー、手加減してるわよー」
プロ顔負けのビーチボールの試合を繰り広げたり、
「坂田、もっと右だ」
「こっちですかー?」
「もっとだ」
「おい空、意図的にオレの方に誘導してるだろ。スイカはもっと左だ」
危うく竹田が被害を受けるところだったスイカ割りをしたり、
「……あんまり意味ないと思うんだが」
「大丈夫。さっきソーラー発電機能付けといたよ」
「マジかよ」
小型モニターと一緒に日光浴をしたりと、まあ、一言でいえば海を満喫した。
一つ一つが楽しくて、懐かしかった。
水平線の彼方に沈む夕日を見送り、濃紺の空に星が瞬きだす頃。
「こら涼子、振り回すな!危ない!」
「え、花火って普通振り回すでしょ?」
「何それ楽しそうだね。私もやってみよう」
「涼、お前はやらない方がいい」
「空の言う通りよ。どうせ火傷して終わりでしょー?」
「君達は冷たいね。そう思わないかい、桃太郎」
「空も芝田も、お前のことが心配なんだよ」
星よりも眩しい火花が、地上では散っている。手持ち花火にはしゃぐ面々をよそに、私は浅瀬で線香花火に火を灯す。
「ご一緒しても良いですか?」
水面に映る火が、一つ増えた。
「坂田は向こうにいなくて良いのか?」
「僕も線香花火派なんです」
先端がくるくると丸まって、今にでも落ちてしまいそうな炎の雫が生まれる。
「それに僕、花火はあまり好きではないんです」
「そうなのか」
「色々思い出してしまうんです。良いことも、嫌なことも」
ぱち、ぱち、と小さな火花がはぜる。
「泉さんも、同じでしょう?」
火は徐々に激しくなり、一気に花を咲かせる。
「ずるいですよ、一人だけ強がって」
「なっ」
動揺した勢いで、私の花火だけが着水した。坂田の花火は、まだ火の玉を残している。
「今日、ずっと浮かない表情をしていましたよね」
「……ばれないようにしていたつもりなんだが」
「これでおあいこですね」
そう言って坂田は、パーカーのポケットから線香花火を一本取り出した。
「いつだったか、僕を迎えに来て下さった時のお返しです」
「涼がでっち上げた失踪事件のか?」
「そうです」
坂田が差し出した花火を受け取った私は、
「……ここには、父さんとの思い出が多すぎる」
何とかそれだけ言った。恐らく、とても情けない表情をしていたことだろう。
「無理に言わなくても良いですよ。誰にでも、隠したいことはありますから」
「どこかで聞いたような台詞だな」
「あなたの受け売りです」
ふっと辺りが暗くなる。坂田の線香花火は綺麗に燃え尽きたようだ。
先程と同じポケットからもう一本線香花火を取り出すと、
「もう少しご一緒しても良いですか?」
いたずらっぽくそんなことを言う。
「ああ。……有難う」
同時に火を点けた二本の花火は、今度は落ちることなく、水面に大きな花を咲かせた。
(おわり)
以下本文です。
*********
開かずの間、とでも言えば良いだろうか。
絶対に開けてはいけないよ、と言われた部屋がある。理由は不明だが、入ってはいけないらしい。
涼子はいつも、その部屋が気になって仕方がなかった。
父が珍しく外出したその日、涼子は好奇心に従うことにした。
普段なら父が一日中引きこもっているその部屋は、開かずの間、というわりに警備が疎かだった。何しろ鍵がかかっていない。研究所の入り口は厳重にロックがかかっているが、中の部屋は不用心極まりなかった。
「これじゃまるで、入れ、っていってるみたいじゃない」
涼子は悪びれず、その部屋に足を踏み入れた。
中に入ると、まず大きなモニターが目に入った。あとはよく分からないボタンや機械類がずらっと並んでいる。
「下手に触らないほうがよさそうね……」
用心しつつ、ボタンに目を走らせる。大抵は用途不明のものだったが、
「……これはわかりやすすぎるでしょ」
他のものよりは大きめの赤いボタンに、ON、と書かれているものがあった。モニターの側にあることから、これが電源だとみて間違いないだろう。
涼子は少しためらった後、ボタンに指を伸ばす。
「ばれなきゃ問題ないわよ」
指先に力を入れると、いとも簡単に、それは起動した。
突然室内に光が灯る。大きなモニターは、ぶうん、と一瞬低い音を立てて画面を映した。
「……なんなの、これ……」
そこに映っていたのは、少年だった。涼子とさほど変わらない歳だろう。今まで寝ていたのか、少し機嫌が悪そうに目を開けると、
「……お前、涼じゃねえな」
涼子を一瞥し、そう言い放つ。涼子は一瞬びくっとしたが、
「何よ、お父さんじゃなくても良いでしょ!」
不服そうに言い返した。
「お父さん……?ああ、そうか、お前が『涼子』ってわけだ」
少年はひとりごちた。涼子は疑問符を隠せない。
「何でアンタが私のことを知ってるのよ?」
「関係ない。……それより、ここはお前みたいなのが来ていい場所じゃない。ガキはさっさと帰れ」
「何よ!私がガキなら、あんただってガキでしょ!」
涼子と少年は、しばらく意味のない口論を続けた。騒ぐだけ騒いで疲れたのだろう、涼子は先ほどより語気を弱めて、
「モニター越しのやり取りなんて調子狂うじゃない。こっちに出てきなさいよ」
「なっ……」
少年は顔をしかめた。涼子はまたも、疑問符を浮かべる。
「出てこられない理由でもあるの?」
ある意味では純粋なその問いに、少年はさらに表情を曇らせる。
「ここは居心地が良いからな。どうせ外は面倒なことばかりだろ?そんな場所に興味なんてねえ」
「確かに面倒なことも多いけど……。でも、楽しいことだってたくさんあるわ」
「例えば?」
少年は、涼子を試すかのような口調で尋ねた。それに気付いたのか、涼子は自信たっぷりに答える。
「おいしいご飯を食べたり、ぐっすり眠ったり、お父さんと話したり、他にも色々」
「あいつと話してて楽しいか?」
「楽しいわよ。お父さんは、私の知らないことをたくさん知っているから」
「それについては否定しない。ただ、あいつはよく分からないやつだからなあ……」
「だから面白いんじゃない」
「……お前も相当な変わり者だな」
「アンタに言われたくないわよ」
二人は顔を見合わせると、堪えきれなくなって笑い出した。軽くなった心で、涼子は旋律を紡いだ。
♪
ひとりでにうまれた二つの心
互いを知らぬまま 生まれを知らぬまま
探し物は僕
なくした君
届かぬ影
惹かれて 掴んで
「その歌、何処かで……」
「アンタも知ってるの?」
「よく分からねえけど、聞き覚えがある」
「じゃあ、一緒に歌いましょうよ!」
「はあ?」
「大丈夫、私が援護するから」
「その言葉の使い方、間違ってる気がする」
「良いから良いから!せーの!」
♪
一人と独り
感じてる 君を
感じたい 僕を
悲しみも 喜びも 過去も 未来も
よく分からないけれど
今はただ、現実{イマ}を生きることを考えて
手探りでも良い、生きていこう
生きている限り、幸せを求められるのだから
「懐かしい歌だな……」
二人の歌声を、部屋の外で聴いている者がいた。
「あれほど入るなと言っておいたのに、やはりこうなったか」
その口調は、どこか楽しげだ。
「いずれにせよ、大きな意味のある邂逅になっただろう。涼子にとっても、――桃太郎にとっても」
数年後、涼の作った世界で再会した二人にとって。
今となっては、おぼろげな記憶。